最高裁判所第三小法廷 昭和58年(あ)1590号 判決 1986年7月18日
本籍
東京都世田谷区八幡山町二二番地
住居
同町田市中町四丁目五番五号
無職
今井長成
大正一五年三月一六日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五八年一一月九日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり判決する。
主文
本件上告を破棄する。
理由
弁護人楠瀬正淳、同椎名啓一の上告趣意書第一点は、憲法一四条、三一条違反をいうが、被告人に対する本件公訴の提起が憲法一四条、三一条に違反するといえないことは当裁判所の判例(昭和二三年(れ)第四三五号同年一〇月六日大法廷判決・刑集二巻一一号一二七五頁、なお昭和二六年(れ)第五四四号同年九月一四日第二小法廷判決・刑集五巻一〇号一九三三頁、昭和三一年(あ)第二七五三号同三三年一〇月二四日第二小法廷判決・刑集一二巻一四号三三八五頁、昭和五五年(あ)第三五三号同五六年六月二六日第二小法廷判決・刑集三五巻四二六頁参照)の趣旨に徴し明らかであるから、所論は理由がなく、その余の点は、事実誤認、単なる法令違反、量刑不当の主張であって、いずれも適法な上告理由に当たらない。
よって、刑訴法四〇八条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 安岡滿彦 裁判官 伊藤正己 裁判官 長島敦 裁判官 坂上壽夫)
○ 上告趣意書
被告人 今井長成
右の者に対する所得税法違反被告事件の上告趣意は、次のとおりである。
昭和五九年三月三一日
弁護人 楠瀬正淳
同 椎名啓一
最高裁判所 御中
記
第一点 原判決は憲法第一四条及び同第三一条の違反があり、原判決は破棄されなければならない。
一 本件所得税法違反は、江川常三郎が被告人にもちかけた、江川建設工業株式会社名義で不動産取引を行い、国税庁に対する江川建設工業(株)の特殊な地位を利用して納税すれば極めて小額の納税で済む旨のうまい話に、被告人が信用してその話にのってしまったのが発端である。
被告人は有限会社いげた又は有限会社中町等の関連会社の不動産取引であれば法人税の納付で済むところを、被告人個人にてわざわざ累進課税の著しい高額の所得の発生する不動産取引を行う意思はなかったのであるが、江川の申出が本当に合法的であるのであれば、利用させて貰うことが江川の利益にもなると信じて不動産取引を行い途中からは鈴木貞光と共同で取引を行っていたものである。
ところが、被告人が逮捕されて後の江川常三郎の供述調書や公判廷における証言では、江川自身がイニシアチブをとって「税金分」を一〇パーセント乃至一五パーセントを納付するため江川に交付すればよいといっていたことを少しも述べず、ただ被告人に頼まれて名義を貸したかの表現をしたり、税金の納付は心配ないかの如く話をしたことがあるかの如き不確かな表現をしたりした上でやっと弁護人の反対尋問で江川の占める地位が相当大きかったかの如き表現も出てきたのである。
原審判決は犯意に関しての判示に際し「同人から、江川建設の名義を用いた取引による所得については、同人の知人で国税庁にも勢力を及ぼし得る有力者を通じて国税庁に工作をし、税金が少なくて済むというようなことを言われたことは認められるけれども、被告人の昭和五七年二月一五日付検察官に対する供述調書等によれば、被告人は、遅くとも本件取引当時までには江川のいうことが嘘であると見破っており、単に江川建設の名義を利用して税の圧縮をしようとしたに過ぎなかったことを認めることができる。」と判示している。
然し、江川の言うこと(右判示内容ではなく、被告人の公判廷の供述のような)が嘘であることを知っていたならば、わざわざ危い橋を渡ることもなく関連法人にて取引をするのが常識である。江川の言うことが真実であると信じ切っていたからこそ、江川の言う通りにその利益の一〇パーセント乃至一五パーセントを交付して、江川建設名義で取引をしていたのである。
二 ところが、本件脱税において実質的には被告人に犯意を抱かせる教唆をなし、且つ自己の会社名義を利用して取引をなすという共同正犯に該当する、重要な地位を占めるだけでなく、自らも被告人から国税庁に納付する「税金分」として、その取引の度に交付を受けた金員を、一銭も当該取引の税金として納付することもなく、且つ自己或は江川建設工業(株)の所得として申告することもなかった江川常三郎は、東京国税局から脱税事犯として告発されることもなく、勿論税法違反として起訴されることもなかったのである。
江川の昭和五七年二月二〇日付検察官に対する供述調書によると、江川が被告人から受領した金額の合計は七七一四万八四四円と自認している。これだけの金額を殆んど経費をかけずに取得し、全額脱税していながら、何らの刑責を負わないで済むというのであれば、法の衡平の感覚から如何なる者においても納得できるものではない。被告人や鈴木貞光はその信用を利用して町田農協やその他の金融機関から多額の借入を行い、不動産取引に関する知識や地縁血縁関係を利用して不動産取引を行うなど、多大の信用や労力或は努力の集積として本件所得を得ているにもかかわらず、江川常三郎或は名目的には江川建設工業(株)は、被告人や鈴木貞光の取引に際して、江川建設工業(株)名義の契約を締結するだけのことにより結果的には何の労力も金銭も必要とせずに、被告人や鈴木貞光の利益の上前をはねるような行為をなすことにより、七七〇〇万円を越える所得を得てその全てを被告人と同様に申告していないということは、その相互関係の実体からみると、金額高はさておいてその行為の態様は被告人よりはるかに悪質ではなかろうか。然もその金額七七〇〇万円というのは、通常の脱税事犯でも極めて高額の部類に入り、通常であればその態様からみてとても告発を免れるような事案ではないのである。
更に被告人が東京国税局の査察を受けた際、調査を拒んだり資料の提出を拒否したのは、江川がこれ以上の資料が被告人のところから提出されるようだと、国税庁の内部問題として困る旨の江川の指示に基づくものである。
と言うことは、被告人の脱税に関する情状が悪くなるような手段を次から次へと実施させる指示を、さも真実であるかの如くまことしやかに述べており、その犯罪の態様は被告人や鈴木貞光より、はるかに高度のテクニックを用いているのであって、はるかに悪質な事案と言わざるを得ない。
三 一つの脱税事犯について、このように脱税のからくりを作り上げた共犯が、告発・起訴もされずに、結果的に多額の脱税となった被告人及び本町田不動産の両者のみ起訴されることは、憲法第一四条の法の下の平等の原則に違背することは明白である。
憲法第一四条の平等条項の意味を考えるにあたって、被告人に対する刑事手続を他の第三者のそれと単純に比較するのではなく、一般の犯罪者、少くとも被告人と同様の罪を犯した犯罪者一般に対するそれと比較し、被告人がその思想、信条、社会的身分又は門地などを理由に、これらの者より不当に不利益に扱われているのでない限り、平等条項に違反はないとするのが最高裁判所の判例の立場であるが、本件の場合、同じ東京国税局が調査し、同じ検察庁が関連して捜査し、全く同様な自白調書を作成し、また公判廷の証言からも十分に何時でも起訴できるだけの資料が蒐集されていながら、被告人と本町田不動産(鈴木貞光)のみが起訴され、有罪判決を受け、江川常三郎については全く不問に付することは、正に被告人と同様の罪を犯した犯罪者と比較するとき、憲法第一四条ひいては憲法第三一条の適用の誤があるか、解釈の誤があると言うべきである。
第二点 原判決はこれを破棄しなければ著しく正義に反すると認められ、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認がある。
一 犯意に関する事実誤認について
(一) 原審判決は既述のとおり江川から「江川建設の名義を用いた取引による所得については、同人の知人で国税庁にも勢力を及ぼし得る有力者を通じて国税庁に工作をし、税金が少なくて済むというようなことを言われたことは認められるけれども、被告人の昭和五七年二月一五日付検察官に対する供述調書によれば、被告人は遅くとも本件取引当時までには江川のいうことが嘘であると見破っており、単に江川建設の名義を利用して税の圧縮をしようとしたに過ぎなかったことを認めることができる」と認定している。
然し、被告人が江川から言われたことは右の如き不確かなことを前提とするものではない。即ち、国税庁に工作をして税金が少なくて済むようなことではなく、江川建設が選ばれて育成の対象となっている中小企業であり、特別法の枠により、特別に通常の税額より小額の納税で済むことになっているのであるから、枠一杯までは利用できることを通告されており、また本件取引当時被告人は江川の言を真実と信じて疑わなかったのである。
たしかにこのような制度があるので利用したい者は利用すべき旨公開され報道された記億はなかったが、部落解放同盟に対する特別な手続により、国や地方自治体が納税やその他の行政上の処置に特別扱いをなす実例が数多く見受けられる頃であったので、そのような特別育成を受ける中小企業があるとするならば、税制上の特別優遇処置も十分に考えられることであるから、江川という特殊な経歴を有する人物であるならば、或はそういう特別利益を受けることも尤もであると考えられたのである。
従って、本件取引当時までに被告人が江川の言うことが嘘であると見破っていたというようなことは全く有り得ないことである。もし被告人が江川のいうことが嘘であると見破っていたのであれば、仮にその名義を利用して税を圧縮したとしても、何時かは必ず所轄税務署なり国税局に明らかになって、一時免れた税金より以上の税金の追徴を受けることは見やすい道理であるから、そのような危険を承知で税の圧縮を行おうということを考えることは有り得ないことである。
江川の言うことを真実と信じ切っていたが故に、真実を全く知らず江川の巧妙な話に乗せられてしまったものである。
被告人は司法書士として、その江川の言が嘘であることを知った上で脱税をしたのではない。
被告人の供述調書に、江川の言が嘘であることはわかっていたような供述があるが、これは被告人が一審公判廷で述べているように、検察官がどうしても被告人の言うとおりに書いてくれなかったことや、検察が十人が十人このような話を信用することは有り得ないと言われて、他の人はそうかもしれないと言ったことが、被告人も嘘であるとわかっていた旨の表現になったもので、被告人の真実の意思を表わしているものではない。
この点原判決の事実誤認は明白である。
(二) 更に原判決は「仮に、被告人が本件所得の確定申告当時まで所論のように江川の嘘を真実と誤信していたとしても、江川が被告人に述べたところは、それ自体非合法な方法であるばかりでなく、本件各取引による所得を江川建設の所得として同会社が確定申告をし低率の納税をするということであると認められるから、同会社名義の確定申告が被告人本人の確定申告としての公法上の効果を生じないことは当然であって、これらを適法でかつ被告人の納税としても有効であると信ずることは単なる法律の錯誤に過ぎず、記録を検討しても、そのような法律の錯誤により本件の犯意が一部分でも阻却されると認めるべき特別の事情は、これを認めることができない」と判示している。
然し江川が被告人に述べたことは、江川の所得につき納税する方法としては合法的な方法というのであり、また被告人は江川建設名義の確定申告が被告人本人の確定申告として公法上の効果を生ずる旨主張しているのではない。
一つの不動産取引によって生じた被告人の所得を、江川建設名義で納税した場合、国税通則法により過誤納金として還付されることになるだけであったとしても、被告人はその不動産取引によって生じた所得の一部を名義の如何を問わず納税している旨の認識を持っているのである。
被告人の納税として有効ではなくとも、不動産取引から発生した所得という面からみるとき、その一部が税金として納入されるという実体も有することになるのである。即ち現実に一つの取引より発生した所得につき他の名義で納税された場合、過誤納金として還付され改めて真実の名義人から納税される場合に、他の名義の納税自体につき真実名義人に全額に対して脱税の犯意を認定することは、租税事件という特殊性からみて法意識になじまず、単なる法律の錯誤と言い切ることができないであろう。
本件の場合、被告人が江川に交付した金員は所得の一部が税金として納付されるということを認職していたものであり、被告人が納税しようとしたものではなく、江川名義で納税しようとしたものであっても、抽象的な意味で納税する金員という認識には変りはないので「納税する」という意思を有していた金額の範囲内では犯意がなかったと言わざるを得ないのである。
従って被告人が江川に渡した税金分についても犯意を認定した原審判決には、重大な事実誤認がある。
二 所得額算定に関する事実誤認について
(一) 本件物件四号のうち一一筆の農地について、いまだ農地法所定の許可又は届出がなく、その所有権が買主に移転していないため、その売買代金は昭和五四年分の収入に計上できないのに同年分の雑所得の収入に計上したことは重大な事実誤認である。
1 原審判決は、右農地部分の所有権が買主に移転しないとしても、この部分を含む本件物件四号全体について昭和五四年五月三一日売買契約が締結され、即日被告人において殖産住宅相互株式会社から支払われた全代金を受領していること、被告人は右受領により右代金を自己の所有として自由に管理処分できることになったこと、被告人は売買代金授受の完了後遅滞なく現場で殖産住宅に右物件を引渡す旨契約書で約し、そのころ右約定を履行して本件物件を引渡していることが関係各証拠を総合して認められるから、被告人には右代金収受によりたな卸資産である本件物件四号の譲渡による所得の実現があったとみることができる旨判示している。
2 然しながら、右農地については権利証が被告人から殖産住宅に交付されていないことは検察官も認めるところである。権利証というものの性質から権利証が交付されていないことは、権利移転について留保すべき事項が存在することを示しているものである。然も売買契約後数年たっても権利証の交付されないことについて、殖産住宅から何らの申出がなされていないことは、この事実を裏付けるものであって、検察官主張のような「転用未許可の農地にかかる権利の譲渡」ではなく、通常の農地の売買であることを示している。
また権利証も交付せずに引渡しが完了したとは言い得ないことは不動産業者の常識である。
従って、場合によっては条件が成就しないとして代金を返還しなくてはいけなくなる場合も十分考えられるのであるから、代金収受により本件物件四号の譲渡による所得の実現があったとみることはできないのである。
3 ところで原判決は本件物件四号をたな卸資産と認定しているが、農地がたな卸資産となり得るであろうか。
たな卸資産は所得税法第二条第一六号に「事業所得を生ずべき事業に係る商品、製品、半製品、仕掛品、原材料その他の資産(有価証券及び山林を除く)でたな卸をすべきものとして政令で定めるものをいう」と定められ、所得税法施行令第三条に、一、商品又は製品(副産物及び作業くずを含む)、二、半製品、三、仕掛品(半成工事を含む)、四、主要原材料、五、補助原材料、六、消耗品で貯蔵中のもの、七、前各号に掲げる資産に準ずるもの、と規定されている。
然し、農地は農地法によりその売買或は他の用途に転用することについて厳重な制限を設けられて県知事の許可或は届出を所有権移転或は転用の条件としていることからみても、農地を商品として売買の対象とは全く考慮しておらず、かえって商品として売買の対象となることを否定しているのであるから、所得税法上の商品となることは農地法との関係からも有り得べからざることである。そうすると、前記施行令第三条七号の「前各号に掲げる資産に準ずるもの」に該当するか否かであるが、農地法の規定及び右施行令の趣旨からすれば、否定せざるを得ないのである。
4 検察官は「転用未許可農地にかかる権利の譲渡」が広く行われていることから、このような場合は農地そのものの譲渡ではないことを前提に立論して、現行法人税基本通達の趣旨に従うべき旨主張している。
これらの事実よりみて、原審判決は検察官の主張を援用して農地をたな卸資産と認定したものと思われるが、そうすると「転用未許可農地にかかる権利」がたな卸資産ということになる。このように具体的な商品或はこれに準ずる有体物以外の単なる権利が所得税法或は同法施行令のたな卸資産たり得るかはなはだ疑問であり、その規定の趣旨よりたな卸資産に含まれないと解せざるを得ない。
そうすると、原審判決はこの点について全く考慮せず、「農地」或は「転用未許可農地にかかる権利」がたな卸資産とみた点において重大な事実誤認があるのである。
5 そもそも雑所得とは、「利子所得、配当所得、不動産所得、事業所得、給与所得、退職所得、山林所得、譲渡所得及び一時所得のいずれにも該当しない所得をいう」(所得税法第三五条)のであるから、農地の売買について課税する場合においても、もともと農地のような資産の譲渡による所得である譲渡所得(所得税法第三三条)に関する規定を準用すべきである。
所得税法第三三条第二項によると「たな卸資産(これに準ずる資産として政令で定めるものを含む)の譲渡その他営利を目的として継続的に行われる資産の譲渡による所得」は譲渡所得に含まれないものとする、と規定されているが、農地がたな卸資産たり得ないことは前記のとおりであり、また、本件の場合営利を目的としていても継続的に行われる資産の譲渡とは言い得ないのであるから、この例外規定には当らない。
そして所得税法第三六条による資産の譲渡により発生する譲渡所得についての収入金額の権利確定の時期は、当該資産の所有権その他の権利が相手方に移転する時であることは判例の示すところである(最高裁昭和四〇・九・二四、民集一九・六・一六八八)し、国税庁より示されている所得税取扱通達・基本通達・法三六条関係の(注)によると、「農地法第三条第一項(農地又は採草放牧地の権利移動の制限)もしくは第五条第一項本文(農地又は採草放牧地の転用のための権利移動の制限)の規定による許可を受けなければならない農地もしくは採草放牧地(以下この項においてこれを「農地等」という)の譲渡または同項第三号の規定による届出をする農地等の譲渡については、当該許可があった日また当該届出の効力が生じた日と当該農地等の引渡しがあった日といずれか遅い日によるものとする。ただし、これらの日のいずれか早い日または当該農地等の譲渡に関する契約が締結された日により総収入金額に算入して申告があったときはこれを認める。」(通達三六-一二)という所得税の原則に立って課税すべきである。
6 そうすると、本件物件四号の内、農地一一筆の占める割合は極めて大で、売買代金の内農地の部分の割合を金額で表示すると一億二一〇一万六九二八円になるというのであるから、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認であって、本件のみでも原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認められるのである。
(二) 求償権の貸倒損失金の額は一億二〇〇〇万円と計上すべきであるのに、これを九〇〇〇万円と限定したのは重大な事実誤認である。
1 原判決は先ず、被告人が本件物件四号を有限会社大倉(以下大倉という)に売却する契約を結び、大倉が殖産住宅から借入れを受けた一億二〇〇〇万円の内から九〇〇〇万円を手附金として受領した旨認定している。
然し、大倉と売買契約を締結したのは江川建設工業(株)であって、被告人ではない。
少なくともこの時点において、被告人と江川常三郎との間において、江川建設工業(株)の名義で被告人が取引をする話など未だもち上っていなかったのである。
原審判決は江川建設工業(株)と大倉の取引即ち被告人と大倉の取引と立論して判示しているが、その前提のない時の江川建設工業(株)の取引について、被告人の取引という前提で判示するのは前提事実を誤るものであって、重大な事実誤認である。
この場合、物件所有者に支払うべき金員として九〇〇〇万円受領したのは事実であるが、大倉との売買契約の当事者として受領したのではないのである。
2 次に大倉が殖産住宅から借受けた一億二〇〇〇万円の債務について、昭知五二年一二月二〇日連帯保証をして右物件の上に抵当権を設定し、同年中にその旨の登記を経由したが、これも大倉との売買契約の当事者としてなしたのではなく、物件所有者として抵当権設定をなしたものである。
江川建設工業(株)は、大倉の債務不履行により昭和五三年二月二五日大倉との間の前記売買契約を解除し、江川建設工業(株)を通じて被告人に交付されていた九〇〇〇万円を損害賠償金としたものである。
ここまでの間、被告人は江川建設工業(株)名義を使用して取引を行っていたものではない。江川常三郎が江川建設工業(株)名で取引をなしていたものである。
本件脱税事件は、被告人が自己或は関連会社名を使用せずに、江川建設工業(株)名義で取引をしたという特殊な事案であるため、被告人が江川常三郎のうまい話に乗る前の江川建設工業(株)の取引も、全て被告人の取引と勘違いしがちであるが、これは江川のなした取引であって、被告人のなしたものではない。
ここまでの間被告人が関与したのは物件所有者細川護貞の代りに所有者として関与しているのであって、江川建設工業(株)即ち被告人という関係は成立していないのである。
3 昭和五四年五月三一日に被告人は、殖産住宅に本件物件四号を売却して受領した金員の内から大倉に代位し殖産住宅に対する前記債務一億二〇〇〇万円を支払い、これにより大倉に対し同額の求償権を取得したのであるが、資力のない大倉に対する右求償権全額が昭和五四年中に貸倒状態に陥っていたから、全額を同年分の貸倒損失と認定すべきであるのは至極当然のことである。被告人のなした殖産住宅との取引と、その前に江川建設工業(株)の大倉となした取引は、同じ江川建設工業(株)名義でなされていてもその主体全く別人であるからである。
被告人が前記代位弁済により本件物件四号に対する抵当権を取得したとしても、結局は混同により消滅する債権関係にある以上、貸倒損失が発生することに変りはない。
そして江川建設工業(株)と大倉との間の売買契約解除により受領した手附金九〇〇〇万円は、被告人と殖産住宅との売買契約には直接関係のない金員であるから、その内の三〇〇〇万円を別途留保金としたとしても、被告人と殖産住宅との間の本件物件四号の売買より生じた貸倒損失一億二〇〇〇万円より右三〇〇〇万円を控除するのは重大な事実誤認である。
(三) 被告人が園田に支払った金員は一〇〇〇万円であって、これを八五〇万円と認定したのは重大な事実誤認である。
1 原判決は、被告人が園田に一〇〇〇万円支払ったことを認めながら、測量費一五〇万円を園田が支払っていたので、一〇〇〇万円の内一五〇万円はその精算の意味をもち、実質的には残八五〇万円のみが、共同出資協定を破棄して被告人だけで前記取引による利益を挙げるための必要経費としての雑費であると認定し、なお測量費一五〇万円は別途被告人の必要経費として計上されているとして事実誤認の主張を排斥している。
2 然し、園田司の昭和五七年三月一二日付検察官に対する供述調書には、一〇〇〇万円を受領したこと、この金員については所轄の税務署に申告していないことを供述しているが、江川に一五〇万円の測量費を支払った旨供述はなされていない。
また、江川の一五〇万円の測量費が被告人の必要経費に計上されているのは、被告人が江川に支払った一五〇万円であって、園田が江川に支払ったものではない。
従って、一五〇万円差引いて必要経費として認定したのは重大な事実誤認である。
3 尚、園田は東京国税局の取調べに際し、八五〇万円しか被告人から受領してない旨述べたため、そのような調書を作り上げられたところ、他の証拠から被告人が一〇〇〇万円を交付した事実が明らかになったため、一五〇万円の測量費をその差額として申出、辻褄を合わせたものであって、真実は一〇〇〇万円を受領し一〇〇〇万円の所得を申告しなかったものである。後日園田の所得調査が実施された際、査察官は園田が被告人から現実に交付を受けた金員(測量費を差引いたものではない)を八五〇万円と信じていたため、被告人から、園田の前記検察官に対する供述調書において、一〇〇〇万円受領している旨供述している話を聞いて、大変驚いて、右供述調書のような話を初めて聞いた旨述べた経緯があり、事実誤認は間違いないのである。
以上の事実誤認は何れも、或はこれらを総合すると、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認であって、原判決はこれを破棄しなければ著しく正義に反するものである。
第三点 原判決は判決に影響を及ぼすべき法令違反があり、これを破棄しなければ著しく正義に反する。
一 被告人の検察官に対する供述調書の自白部分の内、被告人が公判廷で否定している部分は信用性がないので、右自白により犯罪事実を認定した部分は法令違反がある。
(一) 被告人は、江川常三郎からの働きかけを真実として信用し、逮捕されるまで江川を疑うことがなかったのであるが、検察官に対する供述調書では「これを聞いたとき私はこの江川さんの言葉はまゆつばものだと思いました。要するに半信半疑の話だとと思ったのです」(昭和五七・二・一五付)と述べたことになっている。
然し被告人は、被告人と交際のあった者が江川から助けてもらった噂を聞いているし、新聞で報道された「部落解放同盟の関係団体である『部落解放大阪府企業連合会』が、いずれも税務署の担当職員にタッチさせず、税務署の幹部と直接交渉で税をゼロにするか大幅減免させた」という話やその他の例があるように、江川の言うような特別の地位を認められるものがあると考え、そう信じ切っていたのである。
ところが逮捕後の取調べに際して、江川を信用していた旨の話をしても取調検察官は「そんなことメルヘンだ、道に出てそのようなことを話しても誰も信用しないだろう」とか「そんなことを言っても裁判官が信用する筈がない」等言われて、さも嘘だとわかっていたが脱税できるのであればと考えて江川を利用したような供述を記載されてしまったのである。
然し、被告人が江川を信用していたのは疑のない事実である。即ち、東京国税局の査察のあった場合も、江川の指示通り動いて悪質なる妨害行為を行ったと認定されるようなことをしている。常識で考えれば、国税局に内容がわかってしまえば、むしろやむを得ないとしてその調査に協力して、反省の意を示し、その心証を良くして軽い処罰を望むのが通例である。ところが敢えてこの常識に反する行為に出たのは江川を信用し、江川の指示のとおり動いたからに外ならないのである。
このように被告人が江川の話を信じていたのであるから、その江川の信用に関する供述調書は取調検事の作文であって信用性がないのである。
(二) 被告人が江川建設工業(株)名義の取引の度に江川に交付していた金員は「税金分」として表示される金員であるが、被告人の検察官に対する供述調書では何れも江川の供述調書に合わせたように「名義料」と記載されている。
これは、被告人がいくら税金分として交付したものである旨強調しても、取調検察官がどちらでも同じようなものだと言って名義料としか記載してくれなかったものである。
ところが「税金分」として交付していたことを示す事実が、証人鈴木貞光の証言の中や、検察官提出証拠中に存在することが明らかになったため、控訴審判決では「被告人から江川建設に支払われた脱税の対価である所論の税金分」という形で、この点に関する弁護人の主張が一部いれられた形になっているのである。
このように判決で一部否定されるほど、検察官によって被告人の供述がねじまげられているのであって、信用性がないのである。
この税金分として江川に交付した金員を、共同事業者鈴木貞光と折半して負担すべきであるのに、被告人の供述調書では、金額負担すべきであるかの如く記載されてしまっているが、これが真実ではなかったことは、原審判決が事実誤認と認定したとおりであって、検察官に対する被告人の供述調書が真実を述べているものではないことを示す証左である。
(三) 被告人の昭和五七年二月一九日付検察官に対する供述調書によると、被告人は「江川に渡した名義料(税金分)は私自身の脱税のための金ですから、これはいかなる意味でも所得税の計算における経費とはならないことはその支払の都度良くわかっていたのです」と述べたことになっている。
然し、既述のとおり、被告人は江川に交付した「税金分」は、江川が被告人に話していた方法によって、全額国税庁に納付されていると信じていたのであるから、脱税のための金であるというような認識は全く皆無であったのである。然し、江川に渡した金員が脱税のための金であるような話は検察官からそれ迄に全く出ていなかったものが、この段階になって調書として作成する旨告げられたため、被告人はそのような調書には署名指印できない旨述べて拒否したのである。ところが、検察官から、検察官として被告人の立場を考えて有利になるよう考えるので協力するよう求められ、結局、被告人と取調検察官との取引により、検察官が被告人の情状を考えて求刑は罰金一億円となる、懲役については言及できないという心情を述べてくれたので、被告人も被告人に有利な情状を考えてくれるのであればと、同調書に署名指印した経緯があるのである。
一体取調検事が論告の際の求刑を被告人にもらすというようなことが有り得るであろうか。また、その求刑罰金額が真実であったことは、記録の示すとおりである。このように取調検事と被告人との取引が行われたというような経緯からみても、被告人の供述内容が真実でないことは明白である。そしてそのような取調自体も違法であると言わざるを得ない。
このように被告人の供述調書には重要な部分において信用性がないのであるから、これら供述調書を信用できるものとして犯罪事実を認定した原判決は、判決に影響を及ぼすべき法令違反があり、これを破棄しなければ著しく正義に反するのである。
二 控訴審において、重要なる証拠の取調べを行わなかったのは法令違反である。
(一) 控訴審の構造が事後審としての構造を持つものであることは明らかであるが、脱税事件の特性として起訴時の脱税額の詳細を、一審の公判において十分に防禦することが極めて難しいこと、一審の公判が証人をできるだけ制限して短期間に審理を尽す態勢であるために、慎重なる弁護側の立証が許されない状態にあること等の実態と、訴訟法上、控訴理由として事実誤認及び量刑不当(即ち事実問題)を認め、控訴理由の調査のために事実の取調をすることを許している(刑訴第三九三条)こと、そしてこの事実の取調は書面による事実の取調以外のもの、即ちあらたな証拠の取調を意味すると解せざるを得ず、そうなるともはや単なる事後審ではなく、事後審の基本構造を維持しつつ、その上に事実の取調が行われる範囲に限っての部分的な継続審理が行われることになることから、控訴審においても事実の取調を十分に行う必要があるのである。
(二) 本件の場合、事実誤認として控訴した鈴木貞光の税金分の負担に関する部分については、事実の取調として鈴木貞光を証人として採用されたため、その真実が明らかとなり、その部分に関する控訴は理由があると認定されたのであるが、被告人と江川との関係を明らかにするための江川証人を採用されず、事実の取調をすることができなかったのである。江川証人は一審において取調をなしていることがその採用されなかった理由と思われるが、本件脱税事件の発端は、江川から被告人への働きかけであり、江川の検察官に対する供述調書は、その述べる事実が最初と最後では随分と変るというように信用できないと思われる客観的事実があり、更に、公判廷における供述も、検察官と弁護人ではその質問に逆のことを述べて何れが真実か判然としない有様で、疑惑は深まるばかりである。
このような実態から江川の再尋問によって真実を明らかにすべきであるのにもかかわらず、このような特殊な事案であることを考慮せず、再尋問を却下したことは、実体的真実の発見をその目的とする刑事訴訟法第一条の趣旨に悖るものと言わざるを得ない。
(三) このように事案の真相を明らかにするための重要な証拠の取調べを行わなかったのは、審理不尽で法令違反が明らかであり、またこれは、判決に影響を及ぼすべき法令違反であって、これを破棄しなければ、著しく正義に反するものである。
第四点 原判決の刑の量定が著しく不当であって、これを破棄しなければ著しく正義に反すると認める事由がある。
一 本件犯罪の態様は単純幼稚である。
(一) 原審判決は、本件脱税の手段が他人の名義を用いて不動産の継続的売買や貸金をするなど計画的で巧妙なものであり、かつ明確な脱税の犯意のもと長期間継続していた旨認定しているが、貸金は単なる帳薄上の利息の表示が出ているだけで現実の入金は全くないのであり、売買が江川建設工業(株)という他人の名義を用いたのは誠に不都合なる方法であってその非を責めるべきであるが、こと脱税という事犯について言えばとても計画的で巧妙なものであるなど言い得るものではないのである。
(二) 何となれば、被告人は江川建設工業(株)名義でなした不動産取引の全部の明細(仕入金額と売却金額を明示)を、一覧表にして江川常三郎に渡している(弁護人提出済証拠、及び江川常三郎の証言参照)。そしてこの一覧表が江川から国税局に手渡されたため、被告人は国税局により、売上収入金額が完壁な形で把握されているのである。
これは本当に脱税をやろうという意思のある人間のやるようなことであろうか。
脱税者にとって最大の関心をもって秘匿すべきは売上・収入であるのに、この全物件の売上収入を記載した不動産取引一覧表を、国税庁に渡すものであると江川が言っているのであるから、被告人の課税のために使用される疑があるにもかかわらず、全く疑もせずに江川に手渡したり、また写を漫然と事務所に保存するというようなことは、間の抜けた脱税者のやることであって、正気の脱税者には考えられないことである。
また所得の留保形態としても、その帰属関係を不明にするような殊更なる架空名義預貯金口座を設定したものでなく、単に江川建設工業(株)名義の預金にするか、同社名義で不動産を購入していたにすぎないのである。
これらのことから明らかな如く、被告人の本件犯罪は脱税事犯の形態としては計画的で巧妙悪質なものであるとはとても言い難く、むしろ極めて単純幼稚なものに過ぎないのである。
江川の話を信用してしまったがために、このような単純幼稚な脱税となったものである。
二 被告人が脱税について最も積極的指導的役割を果したものではない。
(一) 原審判決には、本件脱税の過程に江川常三郎や鈴木貞光らも関与しているものの、これらの中で被告人が最も積極的指導的な役割をはたし、最も多くの利益を得ていた旨認足している。たしかに不動産取引の際は、被告人が主導的な立場に立った場合もあるが、鈴木貞光との共同事業においては、鈴木貞光の役割が重要な地位を占める場合があったことは、原審の立証に際し証人鈴木貞光の証言に明らかである。また脱税の話は被告人から江川にもちかけたものではなく、江川が被告人に対し、江川建設工業(株)の特殊な地位を説明しその地位を利用すべく話をもちかけてきたものであって、被告人は江川のその地位を利用させてもらうという認識しかなかったのである。
現に、江川から五億円のノルマがあるのに利用しないのはもったいないので、もっと不動産取引をすべき旨、被告人にはっぱをかける形で脱税の取引を慫慂されていたのである。
(二) これらの事実を前提とするときは、被告人が最も積極的指導的な役割を果しているとは言い得ず、むしろ江川常三郎に騙されてその手玉にとられながら、一生懸命不動産取引をなして、一〇%乃至一五%を江川に税金分として支払い、江川の言を最後まで信用していたピエロの如き被告人の像しか出てこないのである。
然し、江川常三郎を始め鈴木貞光やその他の参考人も、全て被告人の悪性を強調するかの如き供述調書が作成されてしまっている。
鈴木貞光の場合は「税金分」として鈴木貞光が負担すべき金員を被告人が負担すべき旨の一審判決により、その事実誤認を主張して証人尋問の機会が与えられたために、鈴木貞光の供述調書の真実でない部分が明らかにされたが、その他の参考人の証拠調が認められないために、情状に関する実態の立証が限られる結果になってしまい、供述調書に述べられているような被告人の悪性が意識的に強調される結果となってしまっているのである。
この点の被告人と江川や鈴木との関係は、被告人の公判廷の供述の方が真実であり、こと脱税に関する限り、被告人が積極的指導的役割を果したものではないのである。
三 被告人に対する判決は他の逋脱犯に対する判決に比して重きに過ぎるものである。
(一) 原審判決は、一審判決が判示第二の総合課税・雑所得を六七万二八七円、同分離課税・土地等の雑所得を一四二七万六九七一円過大に認定した事実誤認、及び印紙代合計三万七三〇〇円を必要経費に計上しなかったため所得を過大に認定した事果誤認があることを認め、右過大認定により逋脱額を一二三九万円余り過大に認定した事実誤認があり、その過大認定額が高額であることから、その事実誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであるとして、一審判決を破棄して被告人を懲役一年二月及び罰金七〇〇〇万円に処している。
然し、控訴趣意書第二点第四項に述べた逋脱事犯と比較しても、未だ著しく重きに過ぎると言わざるを得ない。
(二) 最近の判例によると、京都地裁昭和五七年(わ)第二九六号、昭利五八年八月三日判決において、昭和五三年から昭和五五年までの三年分の所得額約一四億三〇〇〇万円を逋脱した事案につき、懲役二年罰金二億五〇〇〇万円という判決が言渡されている。本件被告人の逋脱額と比べると四倍を越えるもので稀にみる悪質かつ重大な脱税事犯で、動機等に特に正当化するものもなく、現在本税を月額三〇〇〇万円づつ納付しているのが有利な事情に過ぎないのに、懲役二年の実刑に過ぎないことをみると、それに比して本件において被告人の懲役一年二月の実刑、罰金七〇〇〇万円の判決は、重きに過ぎることは明白である。特に、本件脱税が被告人の発案によって被告人のリーダーシップによって行われたのではなく、江川常三郎という得体の知れない満州浪人(自称)が実績のあるかの如く被告人に話をもちかけて来たために、被告人がその話に乗って江川の言う通りにやった結果が本件脱税事犯となったという、極めて特殊な事例においては、尚更被告人に実刑の刑責を負わせることは、他の類似脱税額の態様と比較するときに、その判決が重きに過ぎることは何人も感ずるところである。
(三) 次に、昭和五九年三月一六日の新聞報道によると、殖産住宅の元会長東郷民安が昭利四七年一〇月の同社株の新規上場にからみ、巨額の脱税をしたとして所得税法違反に問われた事件の右同日の上告審判決において、上告を棄却し、同被告人に懲役二年六月執行猶予三年、罰金四億円の確定することになったというのである。
右事件の逋脱額は、二六億三六五〇万円であり、株式の売買により得た所得にかかる所得税の逋脱事犯であることからみれば、本件被告人の場合によりはるかに高額であり、はるかに悪質であると認定される資料が十分に有る上に、東郷被告人が逋脱額を完納していないのにもかかわらず同被告人に執行猶予の判決でのぞみ、被告人には実刑判決を以ってのぞむのは、法の衡平感覚を著しく害するもので、容認できるような客観的事情は全くないのである。
(四) その他新聞報道されている、東京地方裁判所における昭和五九年一月以降の実刑判決例(昭和五九年三月五日読売新聞)も、被告人が江川建設工業(株)名義を使用したというような単純な手段方法を用いたものでなく、はるかに悪質な手段方法を用いているうえに、隠し所得も厖大であり「十の銀行て五十口の架空名義のマル優預金」であるとか「一億円と四八〇〇万円のマンション、一億三〇〇〇万円の別荘を買い」とか「隠し預金を突きつけても銀行に貸したんだとうそぶくだけ」というような事例の場合である。
このような実例と比較するとき、本件の場合手段方法や所得の留保形態など何れをとっても、実刑判決に処するのは重きに過ぎるものと言わざるを得ないのである。
四 被告人は昭和五二年から昭和五六年迄、(本件起訴にかかる分は一審判決認定の逋脱額にて)修正申告をなし、本税・延滞利子税・過少申告加算税・重加算税等を完納して恭順の意を表している。
(一) 被告人は本件起訴事案だけでなく、昭和五二年から昭利五六年迄の分について修正申告をなし、所得税本税その他の加算税を含め合計四億八九〇〇万円余りを完納し、現在未納分は全くない。
ところで本件起訴分については、一審判決認定の所得・経費にて修正申告をして諸税の納付をしているが、控訴審にて事実誤認が認定され逋脱観が一二三九万円だけ少なくなったのであるから、この金額に相当する所得税やその他の加算税が少なくなる道理である。然し、被告人は修正申告する際に、もし、認定逋脱額が少なくなっても納付した諸税金の還付を受ける方法のないことを税理士から聞かされており、そうなっても止むを得ないと覚悟して納税した経緯があるのである。このように一〇〇〇万円近い税金が過納になっていても、これを還付できないことを容認した上で諸税を納付する被告人の意思は、単に見せかけだけの反省改悛ではなく真に心から恭順の意を表していることの証左と言い得るものである。
(二) 被告人は、右納税のためにその所有財産を殆んど全部処分している。
本件諸証拠に明らかな通り、被告人は江川に交付した「税金分」を含めて経費として認定されない支出を多額になしていたため、所得金額として認定された金額が高額であっても、所得が留保されているものが極めて少ないのであるから、結局今迄長期間にわたって築いて来た自己の財産を全部処分しても尚不足するのが実情で税金支払のために借入をなして支払っているのである。
被告人の諸税の完納或は過納は、被告人のこのような努力の下、その誠意反省改悛の証としてなされているものであるから、その実体をみて被告人のために十分考慮されるべきである。
五 被告人の改悟改悛の意思が極めて鞏固である。
(一) 被告人は多年司法書士として登記登録等の法務行政に尽力し、公的表彰を受けるなど名誉ある地位を占めていたのであるが、その名誉も今回全て失い信用失遂した上に、自己の財産も殆んど全部失うなど社会的制裁や、経済的な種々の制裁を受けただけでなく、家庭内も家族間の融和に破綻が生ずるなどあらゆる面において困難な事案が山積している現状である。
しかし、全財産を処分して諸税金を完納するなど誠意を以って本件事件の後仕末をなしており、改悟改悛の意思が顕著である。
(二) また東京国税局の調査に協力せず、暴言をはいたことは江川の指示のためとは言え、大変悪いことをしてしまったと反省し、その非礼を担当者に詫び以後納税に関して税務署と相談の上で処理を進めている。
これらの実態は既述の悪質なる脱税事犯とは全く異なるものであるので、被告人の現状・家庭の事情・その他類似の逋脱犯との刑の均衡等を勘案すれば、原判決の刑の量定が甚しく不当と思われ、これを破棄しなければ著しく正義に反することになる前記事由を採用の上寛大なる裁判を賜りたい。